童謡「あかいくつ」 作詞:野口雨情 作曲:本居長世
最近、この童謡ってあまり知られていないようです。(若い世代では知ってる人少ないようです)
歌詞にも出てくる「横浜の埠頭(はとば)」ってことで、横浜では結構、赤い靴の女の子関連のものがございます。
・横浜市営バス 「横浜観光周遊バス:あかいくつ号」
・山下公園 「赤い靴の女の子像」
・横浜駅 「赤い靴の女の子像」
・その他 店舗名称として多数あり(当ホテルをはじめ、美容室やペットショップなどなど)
それはそれとして、色々調べていくと実は各地に「赤い靴の女の子像」があるんです。
その1 岩崎かよの物語 |
1902年(明治35年)7月15日 静岡県清水市(現:静岡市清水区)で母「岩崎かよ」の私生児として「きみ」は生まれました。 当時は私生児を生んで育てるという事自体、世間から白い目で見られる時代でした。 (今でいう所のシンママってことですね) 母「かよ」は「きみ」が3歳の時に、北海道に渡る決意をします。 当時の北海道は開拓真っ盛りで、政府による開拓団が募られ、入植者を募集している時代です。 (明治初期に「北海道」と名付けられました) 北海道に渡った「かよ」は函館で「鈴木史郎」という男性と知り合い、結婚します。 この頃、社会主義活動の一環として、北海道真狩村(現:留寿都村)に社会主義結社「平民社」の作る「平民農場」という場所があり、そこへ入植を希望した鈴木史郎・かよ夫妻。 しかし、寒さ厳しい北海道での開墾作業という状況に、まだ幼い「きみ」を連れていくことは難しいであろうと、函館にいたアメリカ人宣教師「ヒュエット夫妻」に「きみ」を託していくことにしました。 ※ 余談ですが、故 高倉健さん主演の映画「八甲田山」で広く知られた「八甲田山行軍遭難事件」は明治35年に起きた出来事です。 時が経ち、平民農場は行き詰りました。 それに伴い、鈴木夫妻もその地を離れます。(小樽へ行った説、樺太へ行った説などあり) 明治40年 鈴木史郎・かよ夫妻に女の子が生まれます。 「のぶ」と名付けられました。 鈴木史郎は新聞社勤務となっていました。 そこで後の作詞家:野口雨情と知り合い意気投合しました。(野口雨情も新聞社勤務) 1軒家を借り、野口雨情夫妻・鈴木史郎夫妻は共同生活をするほどに仲が良かったそうです。 そんな共同生活の中で、野口雨情は「かよ」から、ヒュエット夫妻に託した「きみ」の話を聞いていたそうです。 その頃・・・・ 「きみ」を預かっているヒュエット夫妻は帰国することになりました。 しかし、当時「きみ」は不治の病といわれた「結核」に冒されてしまっていました。 その「きみ」を連れて渡米することは出来ず、知り合いであった麻布十番にあった鳥居坂協会の運営する孤児院に預けていくことになりました。 もちろん、「鈴木かよ」はそんなこととは知らず、ヒュエット夫妻とともにアメリカで元気に暮らしていると思っています。 野口雨情が鈴木史郎夫妻と知り合った14年後(1921年(大正10年))に、童謡「あかいくつ」として作詞され、翌年に本居長世によって作曲されました。 母「かよ」は「童謡あかいくつ」をよく歌っていたそうですが、1948年(昭和23年)に「きみちゃん、ごめんね」と言い残し、64歳でその生涯を閉じたそうです。 |
その2 小説家:菊池寛さんの物語 |
菊池 寛さんはご存じでしょうか? 最近では「文春砲」なんて言葉が出来た「週刊文春」という雑誌がありますが、それを発行するのが、株式会社文藝春秋です。 「文藝春秋」という雑誌も既に創刊100年を迎えていますが、その会社(雑誌)を立ち上げたのが、菊池寛さんです。 菊池寛さん自身も小説家であり、芥川賞や直木賞を作り出したのもこの人。 代表作としては小説「恩讐の彼方に」、「藤十郎の恋人」、「真珠夫人」など、或いは戯曲等も手掛けており、小説家、劇作家、ジャーナリストでもあります。 菊池寛さんが、北海道テレビの記者として働いていた時(1973年(昭和48年)のこと。 当時の北海道新聞の夕刊に載せられた「読者投稿欄」の記事に目を留めました。 その投稿は「童謡あかいくつ」に出てくる女の子は、自分の会ったことのない姉の話だという内容。 投稿者は「岡 その」さん(当時:60歳前後)。 どうしてなのかはわかりませんが、菊池寛さんは記者として、この調査を始めました。 投稿者の「岡 その」さんは、鈴木史郎・かよの次女であることが判明。 北海道で生まれた「のぶ」の妹として生を受けた人だったのです。 ※「かよ」の三女 この調査に5年を費やし、1978年(昭和53年)に北海道テレビのドキュメンタリーとして放送され、その翌年に「ノンフィクション小説:赤い靴はいてた女の子」として発表されたのです。 その調査の過程の中で、「きみ」ちゃんは、ヒュエット夫妻により麻布十番に孤児院に預けられた後、結核の闘病生活を3年送るも9歳という年齢で亡くなっていたことが判りましたが、それまで誰もそのことを知らなかったそうです。 どうして、菊池寛さんは1通の投稿記事を気にしたのか・・・それも今となっては判りません。 |
岩崎かよ・きみ の生誕地
「赤い靴母子像」
鈴木史郎の生誕地
「赤い靴の女の子記念像」
ヒュエット夫妻に預けられた地
「きみちゃん像」
鈴木史郎・かよ夫妻の眠る場所
「赤い靴・親子の像」
平民農場の有った場所
「母思像」
鳥居坂協会の有った場所
「きみちゃんの像」
横浜市の姉妹都市
「The girl in Red shoes」
※ ヒュエット夫妻が帰国したとされる時期は、日本~サンフランシスコの航路しかありませんでした。
サンフランシスコも同じカリフォルニア州ではありますが、その間は800Km程離れています。(東京ー広島くらい)
童謡の歌詞に出てくる
「赤い靴はいた女の子像」
童謡の歌詞に出てくる
「赤い靴はいた女の子像」
お気づきでしょうか?
横浜の赤い靴の女の子・・・・・
史実からは一番遠い存在じゃないのか?でした・・・・(苦笑)
横浜市民も真っ青の史実ですよ!?
でも、歌詞に出てくるのは事実ですから!(笑)
「 よこはまの~♪」まぁ、ここだけですが。。。
それでも、ウチは HOTEL AKAIKUTSU なんです!(笑)
今日も市内を「あかいくつ号」も走ってます!(笑)
〒231-0023
神奈川県横浜市中区山下町105-14
TEL.045-664-6931
MAIL. info@hotel-akaikutsu.com
→アクセス